重巡青葉 HC AOBA  1941

002  戦艦陸奥の解剖所見
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江戸時代、オランダの解剖医学書タ-ヘルアナトミアを手に、刑死した人を
実際に解剖し、その本の信憑性に驚き、後に解体新書を著した人達がいた。

平成の現代において私は、公式図を手に、爆死した戦艦陸奥にメスを
いれ、図面にしてみた。  とは言っても対象は、2/3が引き揚げられたも
のの、その一部が記念館、博物館に残っているのみ。 他はくず鉄扱いと
なり、リサイクルされてしまった。

従って私は、実体のないバ-チャルの世界で、メスを振り回す事となった。
検分の結果の一部を列記すると、

002-1 長門と違って陸奥のボラ-ドにはそのベ-スフ゜レ-トが無いとの説は本当?
002-2 後部艦橋正面の左舷側に有る、それぞれ3本づつのパイプの用途は何か ?
002-3 前部艦橋の主構造である6本の支柱配置は、平面上で円周6等分ではないのでは?
002-4 前部艦橋信号ヤ-ドに有る信号旗索の下端は信号旗掛とは、離れた位置に固定された?
002-5 前部艦橋トップの10米測距儀甲板の平面形状は円形でなく、角ばっていた?
002-6 etc

  以下に個々の内容について、参考図を付して拙論を述べる。


002-1 陸奥のボラ-ドのベ-スプレ-トについて
     一年ほど前、或る船舶の本に、「陸奥のボラ-ドにはベ-スプレ-ト(以下プレ-トと称する)がなく
     長門との識別点の一つである・・・・」とあった。 これは誤りで正しくは、「長門と陸奥のボラ-ドの
     プレ-トには、その形状に差異があり、これは識別点の一つである・・・・」である。

     異母姉妹の長門、陸奥には衆知の通り、数々の識別点があり、これに旗艦か否かの要素が加
     わり、その数五万と云われる。 仇敵ネルソン、ロドネ-においては、ロッカ-の鍵まで同じだった
     と言われているのに・・・・

  A difference of Bollard between Mutsu and Nagato



     上に掲げた絵を見ながら説明をする。 これは陸奥と長門の右舷艦尾に設置されたそれらを、雑
     誌の多くの写真から総合して、スケッチしたものである。

     これによると、陸奥のプレ-トは、中心部に低い尾根があって、木甲板表面までゆるいスロ-プを付
     けて接している。

     一方姉方のそれは、100mm程の高さがある、五月人形の台座風プレ-トの上にある。
     陸奥のプレ-ト形状については、別の写真として、司令塔直上の副砲予備指揮所から、前甲板を
     俯瞰し、一、 二番砲塔も写しこまれた写真があり、これでも、特定出来る。(長門とは異なる陸奥
     特有の形をした、照準演習機起動機から、陸奥の写真と判断出来る。)

     陸奥のプレ-トが上の絵の様に薄く、また勾配が付いていると、モノクロで順光撮影、露出過多の
     場合、ハレ-ションも影響して、明瞭な写真を撮れない事がある。 他の写真では確かにプレ-トが
     無い様に見える。 プレ-トの軍艦色とデッキの色の、明度が近いためと思われる。(甲板も灰色に
     近かった?)

     ボラ-ドには、その用途から、大きなせん断荷重がかかる。従って木甲板の厚さ(50-100mm)に
     相当するプレ-トが潜っていて、船体上面フレ-ムに固定されていると思われる。 プレ-トと本体
     の円柱は、肉抜きした一体鋳造品なのだろうか?  フェアリ-ダ-の様に・・・・・

     ここでダメをおすため、公式図を開いた。 なんとプレ-トが書き込まれていないでわないか !
     長門のはと見ると、こちらはチャント書いてある。 正にカオスの世界だ。 私の説は、軽薄な思い
     込みだったのか・・

     私は全てを公式図に従うと云う、教条主義的姿勢を貫く気はないが、かといってこれに異議を
     唱えることは、聖書の教えに疑念を抱く事と同じで、時が中世なら異端の徒、火刑に値する・・・

     結論を求めるなら、現物を見るしかない。陸奥記念館には陳列されているのだろうか?
     東京の海洋博物館には、砲身が有るだけだ。 それともクズ鉄となったか、まだ柱島沖に眠
     っているのか ?   まだ1/3が残っていると聞くが、それが本当なら是非引き上げて欲しい。
     そこにまだ目的物が残っていれば幸いだ。 

     砲塔等も一基位は残っていないのだろうか ?  不審船を引き揚げるのも、事情は理解出来る
     が、もっと近場の物も・・・・ ついでに長門もひきずってきて欲しい。 

     将兵は別として、旧海軍の多くの艦艇が戦で沈み、失われた事は、その目的のためであった
     のだから、諦めが付く。 しかし、図面、建造、改修記録、議事録、ネガフイルム、銀板ネガ等のソ
     フトウエアが、ドラム缶の中で、焼却処分された事は、残念であり全く許せない。 これにより確実
     な考証が出来ず、耐え難い喪失感を覚えるのは、私だけなのだろうか ?

     並べて語るのは、不遜の極みではあるが、震災で多くの文化財が失われ、この喪失感が一因
     となり、芥川龍之介は自殺したと云う。 価値観の落差が極端ではあるが、大切なものを失った
     ということで、これは理解しがたくない。

     顔のホクロかニキビに過ぎない様な物に、脱線して長々と駄論を並べたが、コダワル人には
     目立つ存在であり、これを表現する事は、マニアックの世界ではある。、

     結論として、私は陸奥にはプレ-トが有ったと云う信念を守り、異端の徒として殉教の道を選んだ。
   

   
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002-2 後部艦橋正面にある 3本のパイプの用途は何か

上に掲げた拙い絵は、後部見張り所とマストを見上げた、有名な写真をスケッチしたものである。 極め
て情報量の多い写真で、引渡し直後なされたとされる、トップマストヤ-ドのスティ変更も見て取れる。

テ-マとするのは、この写真に写し込まれた、使い捨て雨傘の柄の様な物三本の、正体は何かと云う事
である。 そして右の写真にも、三本のバイプが見て取れ、それらは高角砲甲板に向かって、真っ直ぐ
降りている。 無知蒙昧な私は、これを補機の、ディゼル発電機用排気管と思っていた。秋月型に同様
の物が後部マスト近くに有ったからだ。 

しかし、よく考えると、排気音がうるさくて、仕事にならないし、それにエキパイにしては先端形状が違う。
そのうち、煙突前部右舷側の、炊飯用煙突附近にも、先端の形が全く同じ、しかも三本一組のパイプが
有るのを発見した。そして更に、それらに共通している事は、近くに縄梯子状の、アンテナフイ-ダ-線が
必ず存在していると云う事だ。

察するに、この傘の柄は、空中線の導管ではないか?  でも 参考資料には、この形式については、触
れられていないので、確信出来ない。 しかし、ダメをおしたのは、下の左に示す図面だった。
 Showed as Ant. layout both Tone & Mutsu
後部マスト支柱に沿って、三本の導管が有り、見えにくいが、それぞれにフイダ-が導かれている。

ここから先は、右上の絵を見ながら説明を続ける。 この絵は陸奥の公式図、冒頭のスケッチ、そ
して、私の粗末な電気知識を加えて、作成したものである。 もし間違いが無ければ、1/300以上の
模型には、表現すべきアイテムと思う。

まずは空中線であるが、#3 砲塔上のアンテナトラスから発して、トップマストにあるヤ-ドの中心よりに
達している。(図面からで、左舷側のみ一本だけある) 

トラス側は碍子を介して、リジットになっており、ヤ-ド側は、碍子の滑車を介してマストに向けて張られ、
マストに付いた滑車で、更に真下に向かう、そして碍子で絶縁されたアンテナ線の端末は、タ-ンバック
ルにより、テンションを与えて、プラットホ-ムに止められている。(推測)   

この考え方を発展させると、全ての空中線は、どちらか一方はリジット(固定)で、他方は滑車を介して
引いている事になるが・・・・・。 空中線の張替えの方法がどうなっていたのかが分からないものか?

 反対側の右ヤ-ドに片側には、舵柄信号用を除き、2個の静滑車が有る。これがアンテナ用と考える
 根拠として、

 トップマストヤ-ドは旗信号用として兼用とすると、索はその下部にあるヤ-ドと干渉して使えない。
 とすると、この滑車の使い道はなにか?
 アンテナ線の数と滑車の数が、ほぼ一致する。

 テンションをかける必要性については、余り確信はないが、線材の伸びに対し、一定の張力に調整
 保持をするには 何らかの工夫が必要と思う。 (足で踏ん張り、引っ張ったものか? )
 
 私は空中線展開図(仮称)を、一度も目にした事は無い。 艦内の電気配線工事と同様、この工事に
おいても、絶対不可欠の物だ。 かって、大工はベニア板に、墨壺の墨で書いた間取り図だけで、家
を建てていたが、そんなものでわない。 終戦時のソフトウエアに対する焦土作戦の犠牲となったのだ。

帆船模型の世界にのめり込んだ者は、リギング(ロ-プ張り)の楽しさと、その見栄えに魅惑される。
ウイズアウトセ-ル(帆なし) の場合は端的であって、バウスプリットのガモニングロ-プから始まりシュラ
ウド、各スティ、ブレ-ス、ハリヤ-ド等等、リギングが見せ場である。

この世界の流儀を、そのまま近代軍艦の世界に、持ち込む事は、大変な危険をはらんでいる。
何故なら、アンテナ線はロ-プに比べ、極めて細く、見えるか見えないかの代物なのである。
そしてそれらは、わずかにたるんでいる。

信号索の太さ、色もしかりである。特に色については、我々が実際の索を遠目で見た場合、光線の当
たらない、暗い黒い部分を見て、その存在を認識している。 模型は縮小したものであり、遠くから見た
状態の再現とすれば、その索の色は、顔を押し付けて見て見た、本来の色にせず、陰部を示す限りなく
黒に近い同系色の、細い線材を、選択すべきではないか思う。

スケ-ルに応じて、色の表現もスケ-ルダウンすべきであるということだ。 1/1で作るなら、現物の色に
忠実であるのが「それらしく」感じるが、物を縮尺し、色はそのままというのは、形容的矛盾を生む。
実物の色にこだわる必要はない。 「それらしさ」を求めると言う共通した目的において、印象派画家の
印象に対する忠実さへのコダワリは、我々の世界においても、価値ある概念と思うが。・・・・

日の光の下、感じた色彩を大切にした、印象派の画家達のスタンスは、ある意味でリアルな絵画を
残した。当初印象派の絵は、粗野だとか、描きかけの絵等と酷評され、生涯一枚しか売れない画家も
いた。描きかけの絵とは、模型においては、空中線の中でも、余り目立たないものは、スケ-ルに応じ
て省略した方が、むしろ「それらしさ」に近づくとも、解釈出来そうな気がする。

これ等の思考でいけば、軍艦色、甲板木張り、リノリュウムの色を模型において、一色に定義する
のは、ナンセンスと思う。 印象派的作品を見て、色が違うと目くじらをたてるのは、教条主義的では
ないのか。 それに盲目的に従えば、求めるリアルさからは、ドンドン遠のいていく。

色は、退色、天候、時間帯で千変万化するものだ。 白が何 %、黒が何 %ということは参考とし、
パレットの上で、真の色は気にせず、自分で色をアレンジして作ってみるのが、ベストと言う考え方は
如何なものか。 


空中線等を、表現出来る自信が有ればよいが、大半の模型は、目立ち過ぎて目障りか、はたまた
ソ-メン干し場の感を呈している。 蜘の巣の如く、見えるか見えないかの、表現でなければいけない。
また、ヤ-ド、マストが太いのも、実にやぼったく、せっかくの力作ではあるが、残念な事だ。
自分で気が付かないとすれば、作者のセンスが感じられる。 「戦うものの精悍さ」の印象表現こそが、
艦艇模型製作の、究極のテ-マではないかと思うのだが・・・・・・ 


ベランダに出てみた。 干しきれない洗濯物のためか、竿を載せる両ア-ムに、太いヒモが無造作に取り
付けてあった。 我々の空中線も、同じ程度で良いものなのだろうか?  ヤ-ドへの取り付け方を「それ
らしく」処理し、家内のロ-プ張り、せがれの夏休み宿題工作とは、なんとか差別化したいものだ。 

 
  以下工事中 (be under construction)