模型美術館
3. 阿賀野 1942年 IJN AGANO 1942
2. 矢矧 1944年 IJN YAHAGI on December 1944
第一、第二砲塔を、上下の写真で示します。前盾に有る照準手と旋回手の観測窓は、天蓋の一部にまで達しています。これは「酒匂」のみで、他の3艦と異なります。
1. 酒匂 1945年 IJN SAKAWA 1945 .
2. YAHAGI 1944
塔の頂上は直径が2,000mmで、半径1,000mmの稜線が、テーパーとなって上甲板に降りている。但し同頂上に有る測距儀支筒の直径は3,525mmと、ひと回り大きい外壁となっている (図面の測定値)
1. SAKAWA 1945
3. 阿賀野 1942
スカシ文字 July.01 2019 の箇所の梁材は、1944年12月の公式図に描かれています。Japan の J の所 (FS108 )に渡り廊下に至る横梁が残されていました。更に艦尾に向かって、FS109, FS110 にも有り、そのピッチは1,200mmとなっています。魚雷発射管のテーブル面に、その太い影が写っています。、
透かし文字 Yokohama の場所は「上部艦橋」で、その下の「下部艦橋」
より、艦尾側が張り出しています。
24F
4 能代 1944
煙突の直後には補用翼の格納筐が有り、その上に兵員待機所が設置された。 機銃に射界制限がかかるため、フレームにキャンバスを張る構造だったと思われる。 煙突の側面には、ブレース(張り索)が片舷につき3本付いていた。 前部煙路は2缶、後部は4缶の集合型で、二股の間に缶室吸気孔が有った。
砲室の側壁は、片側で約 5 度の傾斜が付いています。
写真の中心は13号電探の電探室で、その天蓋には照準演習機用の標的移動機が設置されている。写真右端は信号員待機所であるが、その壁面の材質は鋼板なのか、キャンバスなのか判らない。CGは鋼板製として描いてある。
MIYUKIKAI
三脚の主脚は垂直に対し10度の後退角、三脚の収束部から上方に立つ別体のトップマストは、8度の後退角となっています。 すなわち、「く」の字になっていて、4艦の正横写真を4倍コピーすると、それが良く分かります。 酒匂、矢矧、阿賀野の公式図も同様です。 能代については、公式図が無いので、確認出来ません。主脚の直径は225mm, 福脚は150mmで、どちらも直管、トップマストは、主脚との接合部は225mm,頂上は130mmkの、テーパーとなっています。(三脚マストの装置図を図った値)
上の行の左端のCGで説明した通り、矢矧の高射装置ペデスタルは高さが短いです。 昭和19年12月調整の公式図では、探照燈台は竣工時のままとなっています。 しかし、丸スペシャルNo.5 に載っている沖縄特攻空爆下の写真では、探照燈一基が煙突前の中心線上に写っています。 酒匂の探照燈台の図面を用い、同一形状で翌年初頭呉で機銃増設工事と共に、改装したと推定します。この探照燈台も酒匂型に改装されたと思います。
4,5M高射装置のペデスタル(回転台)の高さは、約1400mm有り「矢矧」のそれは約900mmと、短い。但し装置本体の設置高さは、同一です。装置の艦尾側には、機銃射撃指揮装置が有ります。 補用フロートの前後向きが、間違っています。煙突の後ろに有る兵員待機所は、キャンバス製かも知れません。
三連装機銃の中間には、給弾所が有る。 その前後には観音開きの扉が付いている。
Yokohama
Gesky Kumlov, Czech Republic
Taken on May,2008
速度標識索はスカシ文字 only の、少し下の小ヤードの所に、旗索は July の文字の所の旗索掛けに、導かれたと思います。これは阿賀野の「前部マスト装置図」から、推定しました。 KIKAI の所の探照燈管制器、その右隣の山川燈付き双眼鏡、2019 の所の哨信儀などは、この博物館の15F搭載機器 に、詳細CGが載っています。
酒匂の下部艦橋平面図に依ると、13号電探室の所まで、渡り廊下が描かれている。 一方左舷側は通信員待機所まで、延長されている。左舷側に有る上甲板に降りる階段が、右舷側には無い。 9M内火艇の搭載操作で、干渉する為と思われる。
、
高射装置支筒を囲む兵員待機所は、未だ描かれていません。探照燈フラットに登るハシゴは、左舷のみに有り、その途中には踊り場が有って、円材置き場、蒸気捨て管をかわしてします。
Japan
3. 能代 1944年 IJN NOSHIRO 1944
22号電探と全受器は、防空指揮所甲板と同じ高さに、2式哨信儀発受器は上部艦橋甲板に設置されています。 これ等は酒匂のレイアウトと異なっていました。 酒匂の22号電探は、防空指揮所甲板より、400mm程低い位置に設置されていた。